
中国が由来の故事成語を挙げていくスレ
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1174826093/
例えば日本でよく使われる「完璧」という言葉。
実は中国の故事成語なんです。
始皇帝の時代、璧を託された使者がいました。
使者の名前は藺相如。
一代の英傑といえる人物でした。
完全な形で璧を守るという任務を全うしたことから
「パーフェクト」という意味の故事成語となりました。
2:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 14:04:27 ID:Zfj54TgS0
背水の陣
3:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 14:10:35 ID:RJWhgmjr0
蛍雪の功
晋の車胤が蛍の光で、孫康が雪明かりで書を読んだという故事から、
苦学して成功する意味になったらしいです
4:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 14:34:50 ID:0CwfyWgr0
愛国無罪
造反有理
6:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 15:36:06 ID:1aOMKual0
【折檻(せっかん)】
「漢書」の「朱雲伝」に由来。
西漢の成帝の時代、朱雲が成帝の政治を強く諌めたため、朱雲は皇帝の怒りを招き、朝廷から追い出されそうに
なった。その時、朱雲は欄檻に掴まって動こうとしなかったために、それが折れてしまった。その様子に、成帝は反
省して朱雲の意見を受け入れたという故事。
本来は厳しく忠告し、叱ることを意味していたが、現代では子供等の目下の者への体罰や虐待の意味が強くなっ
ている。
7:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 17:29:58 ID:W8VxYUcu0
逆鱗に触れる
竜の顎の逆さに生えた鱗に触ると、竜が怒ってその人を殺すという故事から、
天子や主君をいさめてその怒りを受けること、という意味になったそうです。
8:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 17:57:48 ID:Svy0jdlv0
画竜点睛を欠く
竜を描いて最後に睛(ひとみ)を入れない意味で、最後の肝心な仕上げをしないこと。
絵の名人である梁(りょう)の張僧繇(ちょうそうよう)が竜を描き、睛を入れたら
竜が昇天したという故事からきたそうです。
9:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 20:35:14 ID:JClTh+sqO
馬鹿
10:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 01:07:03 ID:qicqibWn0
>>9
昔、西安郊外の「二世皇帝墳墓」を見に行ったけど
内部に趙高が胡亥を騙している「馬鹿」の状況を
説明している蝋人形館があった。
>>9
昔、西安郊外の「二世皇帝墳墓」を見に行ったけど
内部に趙高が胡亥を騙している「馬鹿」の状況を
説明している蝋人形館があった。
21:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 21:22:28 ID:XAhUcoxzO
>>10
阿呆の語源は秦の阿房宮であるという説もあります。
11:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 01:43:00 ID:csWowddz0>>10
阿呆の語源は秦の阿房宮であるという説もあります。
あまり知られていないのだと・・・・・・・
「散歩」
今でいう麻薬を散らすために歩いたことから・・・
12:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 13:44:51 ID:t6x+NOXt0
杜撰
宋の杜黙の詩は格律に合わないものが多かった故事から、
誤りの多い著作のことや、いい加減なことを意味するようになったそうです。
13:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 14:54:07 ID:y4/KPIZm0
蛇足
中国語は画蛇添足
14:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 16:16:30 ID:csWowddz0
共和
周代に不在の王にかわって諸侯の合議によって政治が取られた、
もしくは共伯の和によって政治が行われた時代が『史記』に「共和」と記されたことに由来し
15:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 18:40:30 ID:sY/iIl3y0
大器晩成
鐘や鼎(かなえ)など大きな器物はなかなか簡単にはできあがらない意味から、
大人物は晩年に大成するということを意味するようになったそうです。
16:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 19:22:17 ID:/ty2dYmI0
出藍の誉れ(青は藍より出でて藍よりも青し)
青い色は藍草から採るが、その色はもとの藍色より青い、という荀子の句より、
弟子が学問に励み、師より優れるという意味になったそうです。
17:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/01(日) 00:03:50 ID:SS0ilgi20
死中に活を求める(死中に生を求める)
後漢の光武帝に最後まで戦いを挑んだ猛将延岑の言葉。
光武帝の軍に対し、何度敗れようと立ち上がりしぶとく戦い続けた。
しかし残念ながら死中に活路を見出せず、降服し斬られた。
18:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/01(日) 17:26:36 ID:MAq7PV7X0
推敲
唐の詩人・賈島(かとう)が、「僧推月下門」の詩句の「推」を「敲(たたく)」
にしようかと迷った故事から、詩文の字句を練るという意味になったそうです。
19:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 03:46:08 ID:0uxFM+xa0
陳御大の弥縫録はみんな読んでるかい?
20:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 16:48:45 ID:8ch11Iki0
断腸の思い
東晋の将軍であった桓温が蜀地方に割拠していた成漢を征討しようとした際に、
兵士の一人が猿の子供を捕まえ、それを追いかけてきた母猿は百里あまりも追いかけた後で死に、
腹を割いてみると悲しみのあまり腸がねじ切れていた。桓温は怒ってこの兵士を罷免した。
23:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 17:12:18 ID:QfX0sH7E0
切磋琢磨
獣骨や象牙を切って磋(みが)き、
玉や石をのみで琢(くだ)いて磨く意味から、
互いに励ましあって学問や人格の修養向上を図ることを指すようになったそうです。
24:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 17:32:12 ID:2upvnoFh0
唇亡歯寒
25:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 12:42:10 ID:DWTSJYdx0
破天荒
荊州は学問が盛んな土地だが、
科挙が始まってから長く合格して進士となるものがでなかったので、
土地の人はこの地を不作を意味する「天荒」と呼んで自嘲していた。
そして、やっと進士となったものが出たとき「天荒を破った」と喜んだのが由来と云われている。
26:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 03:10:18 ID:85oPmpVP0
上洛の洛は中国の洛陽の洛
27:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 18:22:10 ID:wH9GPmjw0
登竜門
黄河上流の竜門を登りきった鯉は竜になるとされた故事から、
立身出世の関門や、人が栄達することを意味するようになったそうです。
28:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 20:54:15 ID:mMY8syBS0
むかうところてきなしって町費?
32:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 21:34:49 ID:HnaA6KJd0
始めは処女の如く後は脱兎の如し
擬態を用い相手を油断させ、素早く行動して功を立てる。
出展は孫子
虎の巻
兵法書「六韜」は文・武・龍・虎・豹・犬の六巻があるが、
その中の「虎韜」には兵法の奥義が記されており、
最も重要視された事から秘伝書などの異名となった。
>>28
岑彭
始めは処女の如く後は脱兎の如し
擬態を用い相手を油断させ、素早く行動して功を立てる。
出展は孫子
虎の巻
兵法書「六韜」は文・武・龍・虎・豹・犬の六巻があるが、
その中の「虎韜」には兵法の奥義が記されており、
最も重要視された事から秘伝書などの異名となった。
>>28
岑彭
41:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 03:11:26 ID:TilJuApm0
>>32
風俗でやってけそう。
29:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 11:15:33 ID:1ohCB7cg0>>32
風俗でやってけそう。
塩梅
臣下の心掛けとして偏り過ぎないバランス感覚が重要であると言う事を説くとき、
料理の味付けに塩と梅を使うが、両者のバランスが重要であることを喩とした。
33:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 21:07:57 ID:3gWhZThV0
>>29
古代の中国の料理では、塩と梅が二大調味料だったらしいね。
30:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 00:57:50 ID:vBdQ5A8X0>>29
古代の中国の料理では、塩と梅が二大調味料だったらしいね。
指南
常に戦場において南の方角を指し示したと言う指南車から
31:こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2007/05/13(日) 01:59:09 ID:wSeQrUr00
捲土重来・国士無双
34:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 01:53:38 ID:uuKYsLoT0
もしかしたらスレ違いかもしれませんが
質問してもよろしいでしょうか?
昔、中国周辺の異民族(遊牧民?)が
中国帝国の巨大さ強大さを知らずに
中国の皇帝(役人だったかも知れません…)の前で
恥知らずにも尊大な態度をとった話が元になりできた
四字熟語、もしくは故事成語をご存知の方いらしゃいましたら教えてください。
意味は逸話のまんまで「無知ゆえに、自分より優れた相手の前で
エラそうに振舞うこと」のような内容だったと思います。
35:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 01:58:37 ID:9/w2IIhX0
『夜郎自大』かな?
36:34:2007/06/15(金) 02:08:34 ID:uuKYsLoT0
>>35
まさしくそれです!
助かりました。ありがとうございます。
37:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 23:16:46 ID:wcU5SxCh0>>35
まさしくそれです!
助かりました。ありがとうございます。
大樹将軍
後漢の名将馮異の渾名、
彼は他の将軍達が自分の功績を自慢している時、
それに加わらず、大樹の根元に座っていた。
その奥ゆかしい人柄から兵に慕われ、
みな彼の配下となることを望んだ。
日本では征夷大将軍に対する尊称(大樹公)として武士の間で使われた。
38:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 20:57:09 ID:7Nc8yiLnO
スレ違いでしたら申し訳ありませんが、質問をさせて下さい。
「人を慈しむ時の目は青く、人を憎む時の目は赤い」いう意味の言葉を知っている方いますか?
もしかしたら四時熟語ではないかもしれませんが…;
39:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 21:02:58 ID:vGaVc8GW0
阮籍の『白眼視』は青眼と白眼だけど、違うのかな
42:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 03:28:30 ID:kIgeH7gGO
>>39
そうかもしれません。
すごいですね…
ありがとうございました!
40:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 22:40:40 ID:FsoxBGEY0>>39
そうかもしれません。
すごいですね…
ありがとうございました!
万事休す
43:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 11:50:00 ID:/xz/sbvh0
後漢の初め頃に結構多いがとりあえず一つ
烏合の衆(耿エン伝・ヒトウ伝)
44:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 22:54:15 ID:s87jGtW70
天知る、地知る、我知る、子知る
後漢の名臣として知られる楊震が東莱郡の太守だった時の事。
深夜、かつて彼が官吏に推薦した王密という人物が、その恩返しにと黄金を持って訪ねてきた。
清廉で知られた楊震が受け取るのを拒むと王密は「深夜なので誰も知りません」と答え、
黄金を置いていこうとした。
楊震は「天が知っている、地が知っている、我も知っている、子(君)も知っている。なぜ誰も知らないといえるのか」
と叱りつけたので、王密は恥じ入った。
これを人々は「楊震の四知」と言って褒め称えた。
ちなみに後漢書では「地知る」ではなく「神知る」と記されている。
45:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 08:42:53 ID:btqJFInT0
間髪を容れず(間不容髪)
46:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:50:57 ID:yTsM9xaa0
君子に三楽あり
孟子は「君子には三つの楽しみがある。
その一は、父母が健在で兄弟の仲が良いこと。
その二は、俯仰天人に恥じないこと。
最後は、すぐれた人物を教育することで、
天下の主となることは三楽には入っていない」と語った。
なお、孔子は驕楽(驕り)、佚楽(淫乱)、宴楽(酒食)の三楽を戒めている。
47:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 21:46:11 ID:uzJ92nVCO
雲泥の差
48:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 20:03:52 ID:oDBbHHWg0
泣いて馬謖を斬る
三顧の礼(孔明より前、伊尹が最初とか)
苦肉の計
49:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 21:28:17 ID:+JxhZOHG0
烏合の衆は後漢初あたりに初めて出て来た言葉だが
日本だと漢書の訳本で麗β食其のセリフに「烏合の衆」が出て来て
秦末の言葉だと誤解された事があったらしい
50:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 00:21:21 ID:c8Tq/V/x0
大器晩成
後漢の名将馬援は、先祖が謀反人であったため立身出世の道を閉ざされていたため、学問に力を入れなかった。
しかしその後、前漢は王莽に簒奪され馬家は謀反人の子孫では無くなった。
そのため学問があった馬援の兄達は皆出世したが、馬援だけは小役人にしかなれなかった。
馬援が赴任のあいさつのため兄の馬況を訪れたとき、
況は「お前は大器晩成の人間だ、時間を掛けて自分を磨けば大人物になる」と忠告した。
馬援はその言葉を守り、光武帝に仕えて信任され、晩年交阯(ベトナム)の叛乱を鎮圧し、
娘は明帝の皇后となった。
52:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 09:53:20 ID:2QmbXGYs0
>>50
馬援は確かに、大器晩成と例えられたけど、言葉の語源は老子だね。
51:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 22:15:47 ID:kaoM88J40>>50
馬援は確かに、大器晩成と例えられたけど、言葉の語源は老子だね。
楽此不疲
「楽しんでやる事は疲れない」と言う意味の言葉。
後漢の光武帝は毎晩遅くまで政務を勤め、
皇太子から働きすぎを心配された時、応えた言葉。
この言葉から光武帝の人柄が偲ばれる。
53:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 07:30:22 ID:2L7k2JC0O
たぶん中国の故事成語で、女はロクなのがいない
みたいな意味の故事成語があったと思うんだけど何だっけ??
54:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 12:04:55 ID:zRqKMuL1O
女子と小人は養いがたし
かな?
55:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 12:18:48 ID:2L7k2JC0O
>>54それそれ
モヤモヤが取れたよ。ありがとう
56:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 19:48:28 ID:KGdRoRUT0>>54それそれ
モヤモヤが取れたよ。ありがとう
井の中の蛙
荘子より
57:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 00:23:40 ID:jEPJ5UrcO
介より始めよ
時は春秋戦国時代、中華の覇者となった晋公重耳は、亡命期間中に自分のことを助けてくれた臣下たちに恩賞を授けた。
この時、重耳のために粉骨砕身して働いた介推という臣下がいたが、誰も彼の働きぶりを見ているものはいなかったため、恩賞を貰うことができなった。
これに失望した介推は故郷に帰り、山に篭ってしまう。
後に重耳は亡命期間中に自分が生きてこれたのは介推のお陰であったと知り、彼に恩賞を授けようとした。しかし介推は山から降りてきてくれなかった。
このことに重耳は自らの不明を嘆き、こう言ったとされる
「あぁ、私が愚かであったために、天下の忠臣を逃すことになってしまった。恩賞を授けるときに、まず介(介推のこと)より始めるべきであった」
このことから、介よりはじめよ、とはやるべき事は後回しにせずに先にやりなさいという意味になった
漢字が違う!郭隗の隗だと思う。
60:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 23:37:36 ID:OnfZAPsz0
釣られてんじゃねーよw
61:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 00:21:48 ID:YOBNmjcqO
こんな餌に俺は釣られないクマー
67:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 00:26:52 ID:hzkjg27X0介より始めよ
時は春秋戦国時代、中華の覇者となった晋公重耳は、亡命期間中に自分のことを助けてくれた臣下たちに恩賞を授けた。
この時、重耳のために粉骨砕身して働いた介推という臣下がいたが、誰も彼の働きぶりを見ているものはいなかったため、恩賞を貰うことができなった。
これに失望した介推は故郷に帰り、山に篭ってしまう。
後に重耳は亡命期間中に自分が生きてこれたのは介推のお陰であったと知り、彼に恩賞を授けようとした。しかし介推は山から降りてきてくれなかった。
このことに重耳は自らの不明を嘆き、こう言ったとされる
「あぁ、私が愚かであったために、天下の忠臣を逃すことになってしまった。恩賞を授けるときに、まず介(介推のこと)より始めるべきであった」
このことから、介よりはじめよ、とはやるべき事は後回しにせずに先にやりなさいという意味になった
59:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/28(水) 22:15:37 ID:RPnEQ5+Q0
>>57
聞いた事無い。ググっても出てこない。普通は「隗より始めよ」でしょ?
58:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/28(水) 22:14:44 ID:QZev4Gb8O>>57
聞いた事無い。ググっても出てこない。普通は「隗より始めよ」でしょ?
漢字が違う!郭隗の隗だと思う。
60:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 23:37:36 ID:OnfZAPsz0
釣られてんじゃねーよw
61:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 00:21:48 ID:YOBNmjcqO
こんな餌に俺は釣られないクマー
満を持して
満とはなんのことでしょうか?
68:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 00:50:42 ID:oalE6k7a0
>>67
漢和辞典くらい引けるようになろうよ。
【持満】マンヲジス
①弓を十分にひきしぼる。《史記》李将軍
②物事が極点に達し、その状態を保つ。
③十分に準備して機会がくるのを待つ。
【満】
いっぱいになった状態。
など。
70:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/26(木) 23:26:45 ID:4GxB3Rm/0>>67
漢和辞典くらい引けるようになろうよ。
【持満】マンヲジス
①弓を十分にひきしぼる。《史記》李将軍
②物事が極点に達し、その状態を保つ。
③十分に準備して機会がくるのを待つ。
【満】
いっぱいになった状態。
など。
>>1
そもそも藺相如が「和氏の璧」を携えて秦へ赴いたのは、
趙恵文王(武霊王の子)と秦昭襄王(始皇帝の曽祖父)の時の話なんだが…
何故誰もツッ込まないんだ?
73:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/27(金) 12:50:13 ID:8xVRdxU30
臥薪嘗胆
79:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 23:55:03 ID:EBD3lz3y0
朝飯前
休憩して飯にしようという光武帝の提案に反対し
自ら突撃して敵を敗走させた賈復に因む
と記憶してたんだが
ぐぐッたら江戸時代がどうのと出てきた
本当のところはどうなんでしょう?
80:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 21:01:24 ID:EdErCRGZ0
日中辞典や中国語会話の本で「朝飯前」を引くと
「朝飯前」を表す成句として「軽而易挙」とか「易如反掌」とかが挙げられ
「そんなことは朝飯前だ」は「那好弁得很呢」とある
「とても簡単」とか「手の平を返すがごとし」とか言うだけ
あと「小菜」ともいうらしいがこれはa piece of cakeみたいなもんだね
少なくとも中国語では簡単な仕事の比喩に「朝飯の前」は使わない
ということは「朝飯前」は日本語とみるべきだが、日本人が後漢書・賈復伝の
光武伝召復曰:「吏士皆飢,可且朝飯.」復曰;「先破之,然後食耳.」
をもとに「朝飯前」ということばを作ったという証拠も見当たらない
どうやら言い出しっぺは後漢初のファンサイトらしい
ネット上に後漢初の情報が少なかった頃からの老舗サイトで
けっこう影響力があるみたいだから広まりやすかったんだろう
81:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 21:30:19 ID:EdErCRGZ0
おっと
那好「办」得很呢 だな
82:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/07(日) 19:03:17 ID:Ayg5rUbS0
折檻みたいに、間違って伝わるのも困るが、最初の情報源って大事なもんだな
83:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/09(火) 23:43:14 ID:d2lju41KO
後漢書以前に左伝に朝飯云々という話があるし、求めるならそっちじゃないのかと
まあ負け戦だけど
てかまあ日本語だろうが
91:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 17:03:34.12 ID:PoPDKZ+s0
虎穴に入らずんば虎子を得ず
後漢の班超の言葉
92:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 04:06:23.25 ID:hf7FQxCx0
賢者は適当にあしらって愚者は丁重にもてなせ という風な故事があったと思うのですが誰か知りませんか?
96:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 11:19:21.73 ID:MCqG+E1Q0
>>92
「六韜」の12の文伐のなかにそういうのがある
他国の有能者が使者に来たら交渉を長引かせて
代わりの使者が来たら交渉成立させて彼らを仲違いさせよというもの
97:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/02(金) 21:43:24.77 ID:u4jtrU7a0>>92
「六韜」の12の文伐のなかにそういうのがある
他国の有能者が使者に来たら交渉を長引かせて
代わりの使者が来たら交渉成立させて彼らを仲違いさせよというもの
鶏鳴狗盗
風林火山
99:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/06(日) 01:35:42.99 ID:C/KpF3oB0
刎頚の交わりのレンパって
ただのドM野郎にしか思えない
100:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/06(日) 03:16:24.06 ID:3MzzuVlh0
>>99
罪の意識を感じて、相手が一番喜ぶであろう事をやってくれと言いに行ったのだから
ドSなんじゃないかな。
だが藺相如はドMだったのでそれを断り、互いの趣味を感じ取った二人は硬く結ばれた
102:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 01:05:41.58 ID:IGKWiA9j0>>99
罪の意識を感じて、相手が一番喜ぶであろう事をやってくれと言いに行ったのだから
ドSなんじゃないかな。
だが藺相如はドMだったのでそれを断り、互いの趣味を感じ取った二人は硬く結ばれた
杞憂
103:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/25(日) 00:00:26.49 ID:LT8Rez4N0
金縷の衣は再び得べし、青春は再び得べからず。 王粲
「金縷の衣」は金糸で刺繍した衣服。
いかに高価な美服でも金を出せば再び買えるが、人生にただ一度の青春は千金を投じても買い戻せない。
王粲は中国三国時代の魏の代表的な詩人。
105:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/23(金) 20:35:23.77 ID:i5dL33Il0
胡蝶の夢
106:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/23(金) 20:36:18.85 ID:i5dL33Il0
忘年の交わり
104:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/26(木) 12:37:58.81 ID:6a6qcy6y0
三個の零
劉備が諸葛孔明を軍師として迎える際の話。
劉備は自ら、隠遁生活を送る孔明の草庵を訪れ、相当な額の報酬を提示し、
「どうか蜀の軍師として力を貸して欲しい」と頼んだ。しかし、孔明は
すでに俗世とのかかわりを捨てた身であると断られてしまった。
諦めきれなかった劉備は、「報酬が少なすぎたかも知れぬ」と思い、
二度目の訪問をした際、「先日は失礼した。十倍の報酬を出そう。どうか
蜀の為に力を貸して欲しい」と申し出たが、やはり断られてしまう。
しかし、どうしてもあきらめ切れない劉備は、三度目に訪問した際には
「先日の更に十倍の報酬を出そう。そなたの力が必要なのだ」と申し出るが、
それでも「報酬の多寡の問題ではございません」とやはり断られてしまう。
業を煮やした劉備は、「ええいそれではさらに十倍、初めの千倍の
報酬を与えようぞ、それでも嫌だと言うなら諦める!」と叫んだのである。
孔明は劉備の熱意に感動し、蜀の天下制覇のために働いたという。
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